新千歳・函館からの空路と、季節運航ながら稚内からのフェリーもありますが、逆にサハリンから日本への観光客が増加しています。
改めてサハリン観光を考えてみた場合、大正12年に旧樺太を旅行した宮澤賢治の旅とコースに興味を持ちます。

当時は夜行ながら稚内から連絡船に乗り、大泊から鉄道で豊原に出て彼の旅行が始まります。
友人の勤務する王子製紙豊原工場を訪ね、鈴谷岳周辺で植物採取をし更に鉄道で白鳥湖をめざし
、オホーツク海を望む栄浜でもしかしたら海から流れ着く「琥珀」を拾ったかも知れない。
白鳥湖を目指したのは、前の年他界した妹トシの霊をを追って・・・など、あくまでも想像の世界でしかないが、とかく謎の多い賢治の世界では許されることかも知れない。
旧落合から栄浜の鉄道は、すでに廃線になっていますが海岸に近いところに旧駅の跡とその面影がはっきりと残っています。
サハリンに残る蒸気機関車とダブらせると、よく似合いそうな気がします。

▼ ビット君の悩み
▼ 樺太庁豊原市街図

現在の区画の一部は、ソ連時代に造り直された所も有り必ずしも碁盤の目でわないが、充分にその基本がうかがわれる。
札幌は、神宮のある円山を基準に設計されたようですが、ここは旧旭丘の下樺太神社が基準となったようです。今もその位置が変わらない鉄道駅から東西南北に街並みが広がり、その中心に官庁や学校などがあった。
そして、南へは大泊、西へは真岡、北へは落合方面へと鉄道や道路が延びています。

そしてこの地図の裏面は、官庁や学校をはじめ神社・寺院や様々な職業に分類された電話番号簿です。旅館・食堂・カフェー(喫茶+Bar)・おまけに東寿司のそばの東家など現在の札幌にもあるお店と同名のところもでてくる。
作成日は、書かれていませんが当時の豊原市の繁栄ぶりが伺えます。

このほどサハリン州政府が観光発展のため、日本の樺太時代の遺産を重視し観光資源として見直しをする、という見解を発表したのです。
それは、やはり減少傾向にある日本人の観光客を取り戻すための一策のようです。
それと共に、彼らの分析によると日本人観光客がピークだった頃の観光目的を、ノスタルジア観光だったとしているようですが、それだけではないと私は分析します。
それよりも、何故減少を続けているかを考えるとき、サハリンのホテル代の異常な高騰も大きく影響しているはず。サービス内容や価格が国際スタンダードと比較して、観光の促進を考えてもらいたいと思います。







