▼ 20年の歳月
いろいろな報道で知り一人悲しみを感じておりましたが、10月18日稚内でお別れの会が行われることになりました。残念ながらこの日ウラジオストクへ旅立つことから稚内へは行けません。
今朝新聞に掲載された告知を見て、あらためて故人との思い出を振り返っています。
1989年5月戦後初の民間チャーターフェリーが、稚内からサハリン州ホルムスク港を目指して船出しました。日本のあらゆる報道機関がこの日の出来事を取り上げてくれました。
そして、その船出した船内に運航責任者としての私と、稚内市代表団の団長である浜森市長が共に実現を喜び合っていました。
航路実現のため前年から稚内市を訪れ各方面に協力要請をしておりましたが、以外に実現を疑う方々もおりましたが、当時の印象では市長が真っ先に協力を積極的約束してくださいました。
そして、航路が実現して年間10便ほどの運航が軌道にのって、たびたび市長室を訪問した際必ずご馳走になった「天重」の味はいまでも忘れません。
また公人から一般人に戻られた時、自宅に持参したVODKAとこけももを喜んで受け取っていただいた姿も忘れられません。
現在サハリンフェリー航路の運航が大変厳しい状態にあります。
もっと早い時期に、お元気な浜森さんにアドバイスいただいておけば・・・と、晩年お会いできなかったことも含めて後悔しています。
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)