冬季札幌オリンピックとサハリンの因縁

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2012年は、冬季札幌オリンピックが開催されてから40年を迎える年です。
私達の年代にとっても大変記憶に残る、1972年の大きな出来事でした。
地下鉄南北線の開業と札幌地下街の誕生など、札幌の近代化が大幅に進んだことに大変驚かされました。
いくつかの競技を観戦する機会がありましたが、そこで大きな衝撃を受けたのがロシア・東ドイツ・チェコ・
ポーランド・北朝鮮などの社会主義国が活躍していていたことでした。
そして、日本人にとって忘れられないジャンプ競技70m級で、日本人選手が金・銀・銅メダルを独占するという
快挙でした。
それから17年後、縁あってサハリンで仕事をすることになた際、サハリンスポーツ委員会とのお付き合いができました。
そこで、当時の委員長や指導部長から意外なお話を聞くことになりました。
それは、1971年の冬に当時オリンピックを翌年に控えて、大倉山のジャンプ台が大改装されていて、日本人選手の練習用のジャンプ台として、かつて樺太時代に日本人が造ったサハリンのジャンプ台が使われたということ
でした。本番でメダル三つを独占した「日の丸飛行隊」がサハリンで練習していた、という事実を知りました。
残念ながらそのジャンプ台も今は、老朽化のために取り壊されましたが、ここのスキー場も今ではナイター設備がされ、大型ゴンドラリフトも整備されています。
冬
1971年といえば、まだ旧ソ連時代のお話ですから当時閉ざされたサハリンで、行くほうも受け入れるほうも
かなりのご苦労があったであろうと考えてしまいます。
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