2010年10月

2010年10月 に関する記事です。
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昨日の初雪は昼頃にも少降り夕刻には気温が上がり雨に変わり、夜半から朝にかけて
再び雪となり今朝までの積雪は7cmにもなりました。
手稲山
さすがに手稲山もかなりの積雪のようです。
これから来年の雪解けまで、手稲山も真っ白な姿に変わりました。
そして藻岩山もすっかり冬の装いになりましたが、明日以降の気温と天気でもう一度紅葉の姿を見せて
くれる、と思うのですが。
藻岩山


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気象予報が大当たりで、今朝の初雪は一時的に結構な吹雪となりました。
初雪1
朝7:00前に起床して、新聞を読んでいるとベランダの外が急に暗くなり吹雪になっていました。平年よりも一日早い初雪で、明日まで雪模様が続き週の後半はまた14℃位に回復するようです。
それにつけても雪の降る際の気温は寒い!!。
初雪 001
ようやく見ごろになったかと思った藻岩山の紅葉の景色に、初雪がダブってしまったようです。

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紅葉が遅いと思っているうちに、じわじわと色合いが変わってきました。
特に今日の最高気温は午前中で、昼過ぎから気温が下がり始めいよいよ明日は山間部に
雪の予報で、あさっては平地にも雪が降る可能性がでているそうです。
いよいよ来たか!!。そこで気温も一桁のようで厚着が必要です。
紅葉
しかし山・公園・街路樹などを見ても紅葉にいまひとつ足りないのが黄色です。
そんなことを気にしながら見ていたら、意外にも一部の銀杏の木が黄色く色づいていますが、
大半の木がまだ緑色であることが判りました。
やはり天候の異変でしょうか。銀杏拾いもまだまだのようです。

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今年の収穫はすでに終わりましたが、昨年に引き続き今年もサハリン松茸は豊作でした。
もう20年前にもなりますが、秋晴れの休日にロシア人とキノコ採りに行った山で、彼らに訊ね
られた謎のキノコが赤松林に群生している松茸でした。
松茸
それまでは、モミタケなど彼らが知っているキノコだけを収穫し松茸を無視していたようですが、私が一目見て
おおハシャギしてそれをその場で焼いて食べたのを見たロシア人も、それ以降貴重品として扱うようになりました。
その内人から人へと伝わり今では、乱獲となりその山は期待できなくなりました。
ところが今年の夏偶然ユジノ市内で会ったロシア人から別の山を発見し、まだ誰にも採られていないことを
聞きましたが、残念ながら今年はでかけられませんでした。
来年に期待してじっくりと気長に待ちたいと思います。

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今日も秋の陽射しが心地よい一日でした。
やはり藻岩山も例年から見ても紅葉が遅れています。
藻岩山
でも毎朝見ていると結構早い勢いで緑から赤黄と色がつき始めて行きます。
まだまだ落ち葉には早いようですが、銀杏が色づき始めると一気に秋が深まる感じになるでしょう。
秋
大通公園も紅葉には、少し間があるようです。
来週の天気予報では、いよいよ初雪の予想がだされたようです。

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今日仕事の関係でいつもより少し早出をし、打ち合わせ先が中島公園内なので空模様がいいので、仕事
終了のあと紅葉の写真が撮れると期待して出かけた。
さて、一仕事済ませて外へ出てがっかり、さきほどの青空が薄曇りの空に変わっていた。
紅葉1
それでもあきらめきれずに、赤く色づいた景色を一枚。
やはり公園の木々は、いつもの秋とは違い紅葉というにはまだ早いようです。
紅葉2
あらためてまた出直そう。

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北海道は、すでに紅葉が観光の目玉になっています。
札幌市内は、ようやく色づき始めたところでこれから更に秋めいてくるでしょう。
さてサハリンは、朝の気温がいよいよマイナス気温となり日中でも10℃前後になっきました。
秋1
今年のサハリンの夏は、比較的蒸し暑く更に湿度の高い珍しい気候でした。
やはり雨の日が多く梅雨のないはずが、随分むしむしした夏でした。
其の分だけやhり秋が早くきたような気がします。
秋2
ナナカマドも真っ赤に色つきこれからは、山々が白樺の黄色が目立ち始めると冬も近くなります。
寒い寒いと考えてしまいがちですが、サハリンの冬もなかなか情緒があっていいですよ。

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20年も前から比べると、現在のサハリンはホテル・レストランなどかなりの進化がうかがえる。
建物自体は勿論のこと内部のインテリアや、メニューもかなりグレードアップしていて、更に
接客の良くなったことも驚かされる。
さてそのような中でも高級レストランと認められているのが、グルジア料理+ヨーロッパ料理で有名な
「バグラチオン」です。
レストラン1
まずは外観の看板で驚かされますが、中のインテルアや壁や天井に描かれた中世を思わせる絵にも驚かされる。
使用している食器類の豪華さも、私はよくグルジア料理を注文しますが、特にパン・スープ、鶏肉料理がお薦め
です。
スープ
ロシア料理+グルジア料理+カザフ料理+ウズベク料理などようやくサハリンでもグルメツァーの実施が
可能になりました。

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レーニン通りで一番賑やかなエリアは、レーニン広場から自由市場に通じるサハリンスカヤ通りと
交差するところまでです。途中、美術館や図書館があり通りに面したアパートの1階の商業施設が、
年々改装されて華やかなショッピング施設に変化しています。
R1
街の中心部としては、朝夕だけでなく昼間も多くの車輌や人々が行き交う通りです。
R2
旧樺太時代の大通りは、不思議なことに今も昔と同じような店が並んでいるような気がします。
例えば、銀行・食料品店・百貨店・市場・郵便局・など、昔の地図を見直すと良く判ります。

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レーニン広場を中心に南北に延びる広い通りがレーニン通りです。
日本時代は、大通りと呼ばれやはり街の中心的な通りでした。
現在、南へ向かえばコルサコフ方面へ、北へ向かうとドリンスクを経由して北サハリン各地へ通じる通りです。
さて写真は、レーニン像の真前の市役所から鉄道局を望む南方面です。
鉄道局
やはりレーニン通りの繁華街は、ここから南へ向かい自由市場へ行く通りです。
その途中に出会うのが、文豪チェーホフの像です。
チェーホフ
美術館の入口で、図書館の前にどっしりと座りレーニン通りを行きかう人々見ているようです。
彼がサハリンを訊ねて以来今年は120年の年で、サハリンの各地で様々なイベントが繰り広げられています。
振り返ってみると、20年前100年記念ツァーを企画してアレクサンドルフスクまでの列車の旅を成功させた
事をがありました。

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昨年秋から工事が始まり暫らくの間閉鎖されていたレーニン広場が更に整備されました。
公園内の芝生や花壇、ベンチや外灯なども華やかな雰囲気に変わりました。
レーニン広場1
レーニン像もなんだかすっきりして見えてしまいます。
特に夕刻に外灯に火が灯るころの風景が、ロマンチックで絵になります。
そして、この周辺の景色も近代的に生まれ変わって行きます。
レーニン広場2

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旧樺太庁博物館として建てられましたが、ロシア領となった今も博物館として使用されています。
博物館
日本の来館者は、その建物風貌から日本の展示物ばかりかと勘違いするそうですが、やはりここはロシア
方式の展示がされています。
それでも今年の展示レイアウト改修で、日本の物が多く展示されるようになった気がする。
展示物1
かつて先代の館長さんに地下の研究室で、様々な日本時代の収集物見せていただいたことがあったが、それぞれの
価値に対する基本的な考え方に違いがあり、日本人としてもう一度見る機会があれば是非見たい。
展示物2

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西海岸トマリへ行った帰りまたまたウズモーリエ(旧白浦)で休憩となりました。
トイレと小休止を兼ねての立ち寄ると、まだまだ駅構内の物売りおばさん達が商売をしていました。
白浦1
ところがその先の線路上に並んでいる見慣れた車輌は、なんと日本製のD-2ではないか!
現在サハリンで唯一現役で走る車輌はこれだけなのです。
D-2
私の知るところでは、かつて東横線を走っていたころ見たことがありました。
その後サハリンへ中古車輌として売られたようです。
ユジノサハリンスクの近郊の近距離路線を走っていたことを記憶しています。
いつまで走れるか、頑張れD-2!!!!。

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サハリン西海岸トマリは日本時代泊居(とまりおる)と言う名から、今でもその名残の地名です。
昔ここに住んでいた方からお聞きしたところでは、地下水が美味しく日本酒の有名な造り酒屋もあったといいます。確かビール工場もあったというお話も。
橋
それらの工場がこの橋の近くにあったらしいと聞くが、この橋は当時のまま残されています。
夕陽のきれいな西海岸の河口付近にあります。
神社
そしてここにも残された神社の鳥居が2本しっかりと立っています。
引き揚げから60年以上も経て、ふる里を訊ねる人々にその証拠としてここに堂々と立っているようです。
工場
もうひとつ歴史の証として、王子製紙の工場の建物もその姿をしっかりととどめています。
確か12~13年前までパルプ工場として、少ない地方の産業として残されていました。
サハリンには、まだまだこのような歴史的な遺産が各地に残されています。

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今回西海岸の旧泊居を目指すため一度東海岸を北上して、白浦から真縫を経由して行く
ことになりました。
何故なら西海岸の旧野田と旧泊居の道路が長い間不通になっています。
なぜか鉄道線路だけは、問題なく通じています。
日本ではありえない事情ともいえるでしょう。
さていということで、旧栄浜を経由して白鳥湖を通ってみました。
白鳥湖
幸い天気も良く川から海まではっきりと見わたせ、爽快な気分のドライブです。
思えば15年位前に催行した「宮澤賢治ツァー」が、すっかり本州方面の旅行会社のコースに取り入れられ、
当時あくまでも仮の想定で「~だったかも知れない・・・・・」としていた、この湖や琥珀海岸の名前も
あたかも昔からあったかのように扱われているのが、私としては滑稽でなりません。
鳥居
そして、この鳥居を初めて見てからも20年が過ぎてしまいましたが、地震があってもしっかり立っているのが不思議なくらいです。
戦後壊されずに残ったのですからまだまだ頑張って、残っていて欲しいですね。

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コルサコフ港のフェリーターミナルに隣接したところにあるカフェロータスは、常に公式的な夕食会などにも
利用されています。
ロータス1
もう20年前から度々訪れていますが、料理の内容もまあまあです。
昼はランチセットもあるので、料金的には手ごろです。
ロータス2
ミックスサラダも新鮮で、しかもドレッシングもあっさりとした味です。
ロータス3
メインは、オヒョウの蒸し焼き+ピラフでした、オヒョウが余りに美味しくついつい食べ終わってから、写真
に納めることになり残念。
またコルサコフ市内には、人気の美味しいパン屋さんもあります。

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コルサコフには、ペレストロイカ後すぐに出来たのが地元のビール工場でした。
工場に隣接して試飲よのカフェがあります。
「ゲルサク」と呼ばれ技術は、本場のドイツから受け入れました。
ビール1
入口でシンボルキャラのペンギンが出迎えてくれます。
特に今年の暑かった夏は、大繁盛したようです。
ビール2
ビールの種類は3種類ありロシア的な分類で、白・赤・黒がありおつまみは普段ピーナッツやピスターチオ、魚の燻製などですが、季節に行けばこのような北海しまえびが超格安で食べられます。

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コルサコフから東へ約30分ほど山の中を走るアニワ湾の海岸線に出ます。
この海岸一帯は、樺太時代高級な昆布の産地として有名なところでした。
昆布があるということは、当然ウ二も多く生息しています。
現在ここは、特北サハリンのノグリキの海上で産出された天然ガスを、パイプラインで
運び休息冷凍することによって液化ガスにする工場と、その製品を液化ガスタンカーに積み込む
施設を有した港があります。
プリゴ1
旧日本の地名「女麗」めれいと読みます。現在の地名はプリゴロドノエといいます。
この工事には、日本の企業も数多く参加して昨年完成しました。
プリゴ2
液化ガスは、日本のタンカーによって千葉県の港にも運ばれています。
そしてこの地域の歴史には、日露戦争を勝利した日本軍がサハリンに始めて上陸したところで、
その後建てられた「上陸記念碑」の残骸が、ここを見わたす高台にあることも皮肉なことのような気がします。
記念碑

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サハリン州コルサコフは、現在稚内とのフェリー航路や北方四島への玄関口になっています。
またサハリン石油・天燃ガスプロジェクトのサハリン1の専用岸壁あります。
また東側に位置するプリゴロドノエには、天然ガス液化プラントも完成し、地域としても大変活性化
しているところです。
この地は、サハリンで最も早くから開発されたところで、樺太庁も最初はここに置かれていました。
拓銀
北海道拓殖銀行大泊支店も、当時の漁業や王子製紙大泊工場の繁栄とともに勢いがあったようです。
ソ連時代は、国立銀行の支店として営業しておりましたが、もう二十数年も空家のままです。
階段
次に訪れたところは、小学校の跡地で校舎へ登る階段だけがそのまま残されていて、校舎のあとには役所の建物が建っていました。
遺跡

更に坂を登る途中に日本時代の名残「奉安殿」を見つけ、また校庭の跡も確認できました。
おそらくこのようにサハリンには、様々な日本時代の面影が残っていて、ここ二十数年の間私もかなりの場所に遭遇する機会がありましたが、まだまだ貴重なものもあるようです。

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ユジノサハリンスク市のサハリンスカヤ通りこの通りに沿って車を走らせると、西海岸の港町
ホルムスへ通じています。
日本時代の通り名は真岡通りで真岡町へ通じていました。
20年以上も前のソ連時代は、ほとんど住宅街として5階建てアパート地域で、中心には食料品店と薬局しかありませんでしたが、今では夜も明るい商店もできています。街並み1
北へ下ると旧自由市場の面影が残る市場や、中国人マーケッツトに通じていて人も車の通りが非常に多い通りです。特にレーニン通りと交差するあたりは、平日でも賑やかです。
ふと何気なく入ってみた本屋で買い物を終えて振り返ってみたら、以前確かお酒類などのお店だったことに気がついた。今は、大きな本屋に代わっていました。
本屋

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慰霊碑2
かつての樺太神社の敷地跡に建てられたロシアの戦没者慰霊碑です。
迫力ののあるモニュメントと、現在までの様々な戦争で戦死したサハリン出身兵士の
名前を刻んだプレートが圧巻です。
慰霊碑1
そして、永遠に消えることのない慰霊の火が灯されていて、記念日意外にも顕花が絶えません。
特に今年から9月2日に終戦記念日を制定したロシア政府に対して、日本から反発を受けたばかりでした。
現在日本は、あらゆる戦争に参加することなく戦死者も当然出ませんが、ロシアはまだ戦争状態の相手国がい
る以上、これからもここ祀られる兵士がいるということになります。
慰霊碑3
ここを訪れる度に、平和の重要なことを再確認しています。

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